乾杯とさよなら

酒とご飯、天満の嵐

部屋をこじ開ける、怖いもの。

暗い部屋で深夜布団にくるまりながら、Twitterで「コロナウィルス」や「武漢」と、検索をするのが、ここ最近の日課だ。にわかに信じがたい記事や動画を見て、世界の終わる様子を見ているような気持ちになる。
大人として恥ずかしいからあまり大きな声で言いたくないが、あまりニュースにも政治にも興味が沸かない。私の生活は、本と食べ物お酒、小規模の人間関係とインターネットでできている。「コロナウィルス」という単語をはっきりと意識したのも、マスクが店頭から消えてからだった。
私は、重度の花粉症で、花粉の時期は目鼻喉肌全てがつらい。朝と夜の寒暖差や、体調が悪い方に転ぶと喘息のような咳が癖になってしまうので、それだけは回避しなければいけない。
幸い、私が住んでいる街はドラッグストア激戦区で、四方八方にドラッグストアがある。ただ、一ヶ所くらい売っているだろうと、1時間ほどかけて商店街中を歩き回ったがどこにもマスクは売っていなかった。
偶然出会った大家さん(マスクをしていた)に、何処でマスクを買ったのか尋ねると、買い置きを付けているだけで彼女もマスク難民だそう。「諦めちゃだめ!探すのよ!」と、ありがたい言葉をいただいた。
次の日、京都に行く用事があったので河原町中を駆け回り、東急ハンズで在庫を見つける。真っ黒なマスク、3枚で500円ほどの金額だった。
3枚で500円……。
お一人様5つまでと、書いてあったので遠慮がちに2つ手に取った。普段の金銭感覚からするとかなり高い部類に入るけど、鼻の部分に金属が入っていなくてかなり快適だ。
真っ黒なマスクを身に付け、取引先のビルがある梅田へと向かう。相変わらずパセラのトラックが大音響でテーマソングを流している。でも、人通りはまばらで、どことなく薄気味悪い。
つい先日、現代SF中国アンソロジーを買ったばかりで、思ったよりディストピア小説多いやん。嬉しいわぁと、はしゃいだばかりなのに、今ではフィクションのように隣の国で都市が封鎖され、隔離措置が続いている。
まだ、日本での感染が広まっていない頃、私は知人に「もし、都市が封鎖されそうになったら、最後の電車で会いにいくから、部屋に入れてね。一緒に、テレビをみたり、ご飯を作ったりして、楽しく過ごそうね」と、せがんだ。知人も「もちろん」と、暖かく迎え入れてくれたので、ショッピングモールが舞台のあのゾンビ映画のように、怖いものから逃げて楽しいものだけを集めて愉快に立て篭もろうと思っていた。
毎日、毎日、深夜Twitterを見ていると(嘘も多いんだろうけど)物凄い勢いで、コロナウィルスに関する様々な情報が押し寄せてくる。政治や、人種に関する強い言葉もたくさん目にする。
私は世界に終わりがあるなら、(隕石の落下やゾンビの蔓延とか)全ての人類に平等に与えらると思っていたので、現実は乱暴で呆然としてしまう。
別に、人間が滅んだりはしないだろうし、私が出来ることは、手洗いうがいをして、免疫力を高めることくらいで、ウィルスが蔓延したら無駄な外出を控えて、映画を見たり本を読んだり、静かに過ごすだけだろう。
もし、私の住んでいる場所が封鎖されることになったら(予告はあるのかしら)、私は鞄一杯に読みたい本を詰めて知人を訪ね、愉快に過ごそう。「早く終息するといいね」と、言いながら、楽しくおとなしく過ごせば、部屋の中は幸福で満たされる。
だけど深夜、インターネットを見ていたら、隣の国では、病に感染したとされる人達が家族ごと部屋から引きずり出され、悲鳴を上げながら抵抗していた。医療的措置としての正しさは分からなかったけれど、しばらく眠ることができないくらい怖かったのだ。
私の大切なものは小さな部屋の中にあって、それさえあれば愉快に過ごせる。それを生活と呼ぶのだろう。どうか、誰もこじ開けることがありませんように。