乾杯とさよなら

酒とご飯、天満の嵐

日記(散文)

 数回二度寝をした後、人ほどに巨大なフクロウに追いかけられる夢で目が覚めた。頭を優しくつぶしていくような鈍い痛みがする。

 度重なる縁起の悪いニュースに気持ちが引きずられているのか、どうも寝つきが悪い。眠れないとついつい深酒をしてしまうので、コンディションは悪くなっていく一方だ。

 ニュースやTwitterを見ていると、遠方にでかけるのはリスクが高そうなので、身近で用事をすませる。空っぽの冷蔵庫、冷凍庫を充実させようと、鳥の胸肉や豚の切り落としなどを買い込むことにした。

 最近、一食ごとのカロリー計算を行うようになったので、肉は100グラムづつに分ける。米を2回炊飯し、8合を150グラムづつに分けて冷凍した。

 冷凍庫の引き出しには、作り過ぎたカレーや、作り過ぎたシチュー、作り過ぎたトマトソースがびっちりと詰まっている。物流が止まってもしばらくは生きていけるなと思ったが、人類が滅びていくなら、もっと美味しいものが食べたいと思い直す。

 もし世の中が配給制になったら、お酒を口にすることはまれになるに違いない。半月に一度、瓶ビール(中)一本。不公平が出ないよう、酒を希望する者には砂糖の配給が減らされる。私は砂糖と酒を交換しようと、闇市を彷徨うことになる。そうならないために焼酎を1本買っておく、合理的判断。

 情報が錯綜しすぎていて、何が正しい判断なのかわからない。牛乳を買う(特別に高い牛乳を)トイレットペーパーは買わない(家に4ロールくらいあるので)。こんな時だからこそ、加害者にはなりたくないと、強く思う。情報に弱く結果的に加害者になってしまっている人のことも補えたらいいな、と思う。

冷蔵庫の空白を埋めると、私が楽しむための食事がこの中にはないことに気が付いた。先日訪れた中津の立ち飲み屋で、おでんに豚足が入っていたのを思い出す。卸売市場の中にある韓国食材店で豚足を買い、商店街を散歩でもしようと再度出かけることにする。

韓国食材店には、沢山のキムチや調味料総菜などがずらりと並んでいる。豚足を指さすと、お姉さんがなたのような包丁で、豚足に切れ込みをいれていく。豚足が1本230円。ホクホクした気持ちで店を後にし、ふと自動ドアのガラス越しに見た自分の姿に息を飲み込んだ。

 白いビニール袋から絶妙にに豚足の色が透けていて、まるで赤ん坊の足のようだった。マスク越しだと表情もわかり辛い。私が警察官なら絶対にしょっ引くだろう。ちょっとした散歩のつもりだったので、かばんも持っていない。仕方がないので、コートのポケットに入れようと思ったがつま先が飛び出す。仕方がないのでほしくない調味料を購入し、袋を2重にすることでことなきを得た。

豚足を弱火でコトコト煮ると、大きな骨からずるりと外れるようになる。ゼラチン部分は下で崩れ、筋も奥歯でかみ砕ける。冷めたものを細かく切り分け、味噌で食べるのも美味しいけれど、私は崩れるくらい柔らかいものが好きだ。
崩れた肉を摘まみ上げ、生姜醤油に浸し、すするように食べる。濃い目のハイボールを飲み干して、ぼんやりと小鳥を眺める。
知人から入電があり、テレビ通話に切り替える。冷蔵庫の隅にあった泡盛を2杯ほど飲む。楽しくなってきたので、一生懸命話す。不意に漏らした言葉で、険悪な雰囲気になる。説明をするまで追及の手をやめないので、しどろもどろになりながら弁明する。内にため込んでおけばよかったと、悲しい気持ちになる。
何事もなかったかのように、他愛のない会話が繰り替えされる。この人はさきほどの会話を一生忘れないだろうと、陰鬱な気持ちになる。なぜなら私が一生忘れないからだ。
先日も、会話や文章の独特のくせについて怒られている。親しくなるととくに怒られることが多くなる。人間は会話をするときに、尋ねられれたことに答えないまま、具体的な話しをしてはいけない。「おひるごはん食べた?」食べましたという回答をしないまま、「ホワイトソースがこっくりしていて……」と、答えてはいけない。
常日頃から頭の中で思考がぐるぐると、回転をしている。それは句点(。)のない長い散文のようなもので、その合間に会話を交わしている。私の中で他の会話が繰り広げられていて、あなたの方が隙間だということを現実では分かってもらえない。
私が優しく見えているのは、あなた方のルールに従いきれない私を許してほしいからだ。しくじっている私をどうか咎めないでほしい。
気まずい会話を繰り返しながら本棚の本を並べ替える。先日も電話中に筒井康隆の「現代語裏事典」とアンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」を隣において満足そうにそれを伝えた。多分よくわかっていないんだろうけど(私だってよくわかっていない)偉いじゃんと褒められた。二階堂奥歯の「八本脚の蝶」とポーリーヌ・レアージュの「o嬢の物語」を隣同士に置いて追悼の意を示したけれど、これが口に出さなかった。あまり陰鬱なことを言ってはいけない。「おやすみ」と言って電話を切る。今日と明日が地続きでないことを祈りながら瞼を閉じる。

 

部屋をこじ開ける、怖いもの。

暗い部屋で深夜布団にくるまりながら、Twitterで「コロナウィルス」や「武漢」と、検索をするのが、ここ最近の日課だ。にわかに信じがたい記事や動画を見て、世界の終わる様子を見ているような気持ちになる。
大人として恥ずかしいからあまり大きな声で言いたくないが、あまりニュースにも政治にも興味が沸かない。私の生活は、本と食べ物お酒、小規模の人間関係とインターネットでできている。「コロナウィルス」という単語をはっきりと意識したのも、マスクが店頭から消えてからだった。
私は、重度の花粉症で、花粉の時期は目鼻喉肌全てがつらい。朝と夜の寒暖差や、体調が悪い方に転ぶと喘息のような咳が癖になってしまうので、それだけは回避しなければいけない。
幸い、私が住んでいる街はドラッグストア激戦区で、四方八方にドラッグストアがある。ただ、一ヶ所くらい売っているだろうと、1時間ほどかけて商店街中を歩き回ったがどこにもマスクは売っていなかった。
偶然出会った大家さん(マスクをしていた)に、何処でマスクを買ったのか尋ねると、買い置きを付けているだけで彼女もマスク難民だそう。「諦めちゃだめ!探すのよ!」と、ありがたい言葉をいただいた。
次の日、京都に行く用事があったので河原町中を駆け回り、東急ハンズで在庫を見つける。真っ黒なマスク、3枚で500円ほどの金額だった。
3枚で500円……。
お一人様5つまでと、書いてあったので遠慮がちに2つ手に取った。普段の金銭感覚からするとかなり高い部類に入るけど、鼻の部分に金属が入っていなくてかなり快適だ。
真っ黒なマスクを身に付け、取引先のビルがある梅田へと向かう。相変わらずパセラのトラックが大音響でテーマソングを流している。でも、人通りはまばらで、どことなく薄気味悪い。
つい先日、現代SF中国アンソロジーを買ったばかりで、思ったよりディストピア小説多いやん。嬉しいわぁと、はしゃいだばかりなのに、今ではフィクションのように隣の国で都市が封鎖され、隔離措置が続いている。
まだ、日本での感染が広まっていない頃、私は知人に「もし、都市が封鎖されそうになったら、最後の電車で会いにいくから、部屋に入れてね。一緒に、テレビをみたり、ご飯を作ったりして、楽しく過ごそうね」と、せがんだ。知人も「もちろん」と、暖かく迎え入れてくれたので、ショッピングモールが舞台のあのゾンビ映画のように、怖いものから逃げて楽しいものだけを集めて愉快に立て篭もろうと思っていた。
毎日、毎日、深夜Twitterを見ていると(嘘も多いんだろうけど)物凄い勢いで、コロナウィルスに関する様々な情報が押し寄せてくる。政治や、人種に関する強い言葉もたくさん目にする。
私は世界に終わりがあるなら、(隕石の落下やゾンビの蔓延とか)全ての人類に平等に与えらると思っていたので、現実は乱暴で呆然としてしまう。
別に、人間が滅んだりはしないだろうし、私が出来ることは、手洗いうがいをして、免疫力を高めることくらいで、ウィルスが蔓延したら無駄な外出を控えて、映画を見たり本を読んだり、静かに過ごすだけだろう。
もし、私の住んでいる場所が封鎖されることになったら(予告はあるのかしら)、私は鞄一杯に読みたい本を詰めて知人を訪ね、愉快に過ごそう。「早く終息するといいね」と、言いながら、楽しくおとなしく過ごせば、部屋の中は幸福で満たされる。
だけど深夜、インターネットを見ていたら、隣の国では、病に感染したとされる人達が家族ごと部屋から引きずり出され、悲鳴を上げながら抵抗していた。医療的措置としての正しさは分からなかったけれど、しばらく眠ることができないくらい怖かったのだ。
私の大切なものは小さな部屋の中にあって、それさえあれば愉快に過ごせる。それを生活と呼ぶのだろう。どうか、誰もこじ開けることがありませんように。

2020年の目標とご挨拶

 

今年のお正月は、Twitterで「100の目標」を呟いている方ををよく目にした気がする。これらのツイートは、生活を自分らしく楽しもうという意気込みにあふれていて、とてもかわいらしく、読んでいて楽しかった。(連なるつぶやきが、カルガモの雛がついてくるように、ひょこひょことして見える。)

2020年が始まり、早二週間。私も三が日辺りまでは、今年は三十歳を迎える節目の年だし、目標でも立ててTwitter呟こうと思っていた。実は昨年、2020年の目標は「肉を調理し、見識を深めよう。そして牛肉を難なく消化できる身体になろう!」と、思っていたのだが、日ごろの道楽のような食事のせいで体重が大幅に増加していることが発覚した。

別に自分の体が完全なる球体になってしまえば、それはそれで自分の欲望の方向性も食欲にまとまりスッキリするだろう。だが、残念なことに、完全に球体になった身体を維持できるほど、私の胃腸はタフではない。逆流性胃腸炎を再発させるわけにはいかないので、ここ数日蕎麦ばかり食べている。

今年の目標も、例年通り「本をたくさん読む」でいいじゃないかと思ったけれど、この目標を掲げることで、本を購入するための言い訳にしているような気もする。昨年は本を買いすぎた、一昨年も本を買いすぎている。おそらく今年も買いすぎるだろうけど、これは性分なので仕方がないでしょう。

そもそも「資格取得に向けて勉強をしよう!」とか「スポーツをしよう!」とか、苦しいことや、辛いことに対して、頑張ろうという意思が現在の私には全くない。今年も、美味しいお酒を飲んで、美味しいものを食べて、ごろごろと本を読めればそれでいい。今年の私の目標は、「楽しいことだけやろうね」で、おそらくその目標は達成すると思います。今年もよろしくね。

あなたは可愛いけど、結婚式には行きません

妹が嫁ぐタイミングで、実家の犬が死に、父親がひどく落ち込んでいるらしい。らしいと、書いたのは実家との交流を一切絶っており、実家に関する情報が全て伝聞だからだ。
昨年の秋頃、偶然妹が遊びに来ている状態で父親が倒れた。その頃も、どうしても両親の存在が苦しく距離を置いていたけれども、最後になるかもしれないからと言われ、仕方なしに電話に出た。それから少しの間、交流があったけれども、それも無くなってしまった。
嫁いだ妹から実家の犬が死んだよと聞かされた時、悲しいよりも、八十手前の父が呆けるかどうかが気がかりだった。父親の最後に関しては、私は母に背負ってもらうと決めているので、なにもすることもないし、何もしたくは無いのだけれど、妹はお父さんのペットロスが心配。もし、このまま呆けちゃったらどうしよう、としくしく泣いていた。
私の両親は本当にだらしのない人間で、私も妹も心底それに苦しめられてきた。私は父に似ただらしなさと、母に似た極端な性格をしっかり受け継いだが、妹はただただ優柔不断で優しい女性に成長した。彼女は両親を拒むこともなく、どんなにひどい状況でも、家族として近くにいることを選んでいる。
実家の犬が死んじゃったの。どうしよう、お姉ちゃんと言われた時、正直どうでも良かった。出来れば、両親に対する情報を耳に入れたくはないけれど、それを伝えると優しい妹は酷く悲しむので、子犬でもプレゼントしたら、と投げやりに返した。
その日から私の携帯に、子犬の写真が山のように送られ、犬種だの性別だの、父にどうやって渡すべきかだの相談のメッセージが山のように届いた。私は投げやりな気持ちのまま、その山のような相談のメールに返信した。苦しい作業だった。
今日、妹から「子犬を受け取りに行ったよ」と、いうメッセージと共に、愛らしい子犬を抱いた皺々の手の写真が送られてきた。なるべく遠くにいるのに傷ばかり増えていく。

連作 私の5匹の犬 小さな国の王様

私を含め、私の家族は社交的ではなく、家族ぐるみの付き合いをしている、知人どころか、友人も親戚もいない。母親にいたっては、私が5つの頃に、唯一の友人とも絶縁し、人付き合いとは無縁の生活を送っている。例にもれず、私も人付き合いがあまり得意な方ではないが、物心が付いた時から、常に動物に囲まれた生活をしている。鶏、インコ、ハムスター、大型の熱帯魚や、繁殖される金魚達に5匹の犬。先日、実家の5匹目の犬が老衰を迎え、「家族」や「友人」といった、強い絆を必要とするものを、全て失ったような、強い喪失感を抱えている。

両親から始めて犬を与えられたのは7つか8つの頃で、仔犬を家族で迎えに行ったのを昨日のことのように覚えている。車の後部座席で仔犬の名前を考え、リボンを首に巻いて、可愛らしい芸を教えようと心を弾ませていた。両親が私たちに与えたのは、たわしほどの大きさしかない、ヨークシャテリアの仔犬だった。私はそのとき初めて、犬はじゃれ付く生き物で、仔犬の犬歯がひどくとがっていることを知った。

母親はこの仔犬に、聡明な小姓の名前を付けた。彼は名前のとおり賢く、しなやかで俊敏な犬だった。まるでネコのようにソファーの背もたれを歩き、ダイニングテーブルに登り、小さな庭を駆け回った。彼のお気に入りは、両親がバブルの際に購入した趣味の悪いベッドで、愛情のあまり内臓が見えるまでバラバラにし、布団に潜れば名前を呼んでもエサをチラつかせても出てこない、寝汚さをみせた。犬が唸り、噛み付き、思い通りにならないことを、私たちに身をもって教え、どこまでも自由だった。

 母は、彼の「テリア」らしさを気に入っており、図鑑で示しながら、この犬はイギリスで「ネズミ」を取るために改良された「小さな猟犬」だったとを私たちに教えてくれた。ある夜、彼がベッドの上で、白い綿のようなものを舐めまわしているのを、父親が見つけた。父が、ハムスターの入ったケージに、わずかな隙間が空いているのを見つけ、あわてて彼の元へと駆け寄った。彼は当たり前のように脱走兵を差し出し(ハムスターは気絶していたが傷一つなかった)、ネズミを傷一つつけず捕獲した、心の優しい聡明な犬としてさらに株を上げた。

おそらく彼は、自分のことを犬だと意識せず、私たち姉妹との対等な関係性を望んでいた。父親が出張から帰ったときに、私と妹にぬいぐるみを買って帰ったとき、彼は自分へのぬいぐるみがないとしるや、一晩でそれらを台無しにしてしまった。(それは淡いピンクと茶色の可愛らしいウサギのぬいぐるみだった)おかしなはなしだが、私たち家族は、彼の犬らしからぬ気ままさや、頭の良さを愛し、彼の自尊心を傷つけないような距離感を持って接していたと思う。

 両親の寝室のキングサイズのベッドで優雅に眠る彼は、まるで小さな国の王様だった。彼を思い出すのは、自宅のこぢんまりとしたベッドではなく、スプリングの効いたホテルのベッドで、布団とシーツの間にもぐりこんだときの深い寝息だ。真っ黒な彼の鼻は眠りすぎていつも乾いていたし、銀色のカールした毛はいつも湿っていて、わらと土の匂いがした。彼の柔らかな腹に顔を寄せて、深い息を吸い込めば、彼はちらりと目を開け、寛容な態度でそれを許すだろう。顔をうずめたまま、いつまでもいつまでも、彼と眠っていたい。

【私たちは、他の犬を家族に迎え入れたことで、王様ではなく、犬だということを彼に突きつけてしまった。彼との日々の中でそれだけを後悔している】

年下の可愛い恋人

化粧品を三回に分けて使うといいと、教えてくれた同僚が、帰り際に恋人を紹介してくれると言うので、私は彼と帰る事にした。そういえば、恋人の誕生日ケーキを選ぶのを手伝ったのだった。
土砂降りの中、駅チカのカフェの前で「心の準備はいい?」と、笑いながら聞かれ、私も笑顔で頷くと、少し日に焼けた青年がひょっこり顔を出した。
言葉の端々から、私は彼の恋人が男性だと気付いていたし、何も驚くことはなかった。気付いていなかったとしても、驚きはしても、心の準備は必要なかった。彼の恋人は、私と同い年の気さくな青年で、今度仲間内で飲もうよと誘うと、いいですけど、尾崎さん、お酒強そうですねと朗らかに笑った。

同僚は、私のデスクに来ては、恋人とのノロケ話をこぼす様になり、私はそれに雑な相槌を打つようになった。でも、私は「心の準備はいい?」と聞いた彼に、そんな悲しい前置きなんていらなかったよ、と未だに言えないでいる。

薄暗い凪のような心で、人生を浪費している

28になったばかりの夏だから、つい先日のことだ。行きつけの珈琲屋のスタッフに「尾崎さんは1人だと、おばあちゃんみたいな佇まいで、いい感じですね」と、褒められ、私は「余生だからね」と返した。彼は気さくに「またまたぁ」と、声を上げて笑った。それから、なんとなく、この「余生」という言葉が私についてまわっている。

 

よ‐せい【余生】
盛りの時期を過ぎた残りの生涯。残された人生。「静かに余生を送る」「余生を楽しむ」

デジタル大辞泉より

 

さて、 28歳の私の履歴書には、ぽっかりと空白の期間があって、そこで何をしていたかと言われれば、何もしていない。箱型の真っ白い部屋で鳥を眺めたり、泣いたり、本をよんだり、お酒を飲んで薬を飲んで眠り続け、よっこらせと、這いずるようにして起き上がったのが、今の私である。

病院の先生は、私が転んでおきあがれなくなってしまった理由を、例えば幼少期の思い出だとか、ADHD発達障害特有の生き辛さとか、音や刺激に対する過敏さとか、様々な理由をつけたけど、理由はともあれ24歳の私は盛大に人生で転倒した。そして、大転倒の末、一番欲しかったものを手放した。

 

思えば、起き上がれなくなったあのときに、神様の手が首に巻きついたことが何回かあったけれど、そのうちの一度だけ私の心を神様が掬い上げてくれた。あのとき死んでいれば幸福だった、と思うことがある。

 

28になって、住む場所も変わり、少し欲が出てきて、友人だとか行きつけの店とかそういったものを少なからず手にすることができた。そうするとどんどん欲しくなり、恋人が欲しいだの、女性の友人を増やしたいだの、どんどんどんどん欲しいものが増えていく。

一方で、疎ましくなった家族を遂に手放した。幼少期の思い出も、十代の怒りも忘れてしまおう。優しい妹がいるけれど、いずれ彼女もも遠くに行けば、きっと心も離れるだろう。

本当に恋人が欲しいのか、友人を自分の側に置いておきたいのかすらわからない。思ったよりも親しい人たちが増えてしまったことに動揺さえしている。それでもこの先永遠に、心は孤独かもしれないし、家族を持つこともないのかもしれない。私は、心が凪のように、静まるのを静かに待ちたいと思う。

 

あの一瞬の幸福の中で死に損ねたので、ただひたすら余生を浪費しています。どうか、私の心を荒らさないでほしい。あと、50年弱もある私の人生が薄暗い凪のように、静かに続いていきますように。